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昔話Part4

記録媒体と言って良いのか判らない紙テープですが、科学特捜隊のコンピュータから出力されると博士が普通に読んでましたね。あれプリンタ代わりに使う物じゃないのですけれど。いかん、紙テープって飾りつけや、船が出港するときに投げるやつじゃナイデスヨ。知らない人は検索してください。細かい穴の空いた太古のコンピュータ用品です。小学校の頃、駄菓子屋で使い古しの紙テープ売っていたんですよ。いったいどういった経緯で売られたのか、今となっては謎ですが。まぁそれを買って喜ぶ小学生も異常なのですが。(俺だよ)
むか~し、勤めていた会社の経理や生産システムに使われていたミニコン(死語?)はFacom-Vでした。通常Vの後に型番等が付くのですが、初代なのでVのみなんです。私が配属された当時は既に紙テープなんて使われていませんでしたが、紙テープの編集専用テーブルは残っていました。またそのミニコンのIPLテープは紙ではなく、より強度の高いフィルム製でした。プリンタもラインプリンタですよ。132桁分の回転ヘッドが一度に1行づつ印刷する、まさに機械(メカ)って感じでした。記録保存用の記憶装置、当時は磁気テープが主流だと思いましたが、Facom-Vには磁気記録ディスクが2台付いていました。多分見たこと無い人には想像できないと思いますが、16インチほどの円盤が厚さ2インチほどのプラスチックケースに収められていて20MBほど記録できたはずです。使い勝手はFPDとあまり変わりませんが、大きさは破格でしたねぇ。でかくて頑丈で容量の大きなFPDって感じですね。
私の仕事は、このミニコンのシステムを最新のオフコンに移し変える手伝いだったんです。まぁ、メインのCOBOLに互換性が無いため、ある程度は自動変換されるのですが最後は手作業で修正しなければならないと言ったものでした。PCなら得意でしたけれどね、オフコンでCOBOLの作業なんてやったことありませんよ。無茶な会社上層部の連中なのでした。まぁバッチ処理はたいしたことは無かったのですが、各部署にある端末のオンライン処理は移植不能なんですねぇ。全面的に作り直しです。これを立ち上げるのが非常に大変でした。オペレータの女の子たちと遅くまで入力とチェックを繰り返して難儀しました。システムが正常に機能するようになってしばらく後に退社したので、その後COBOLに悩まされることも無くなりましたが。

昔話Part3

いや、寝ようとしたんですけどね。さっぱり眠れねぇ・・・。

そうそう、電卓とPCの狭間があったのですよ。casio FX-502P発売直後に大学生協で購入しました。いわゆるプログラム電卓の登場です。当時は既にHPが出しておりましたがとってもお高い・・・、もちろん大学の知り合いにHPのブツの所有者がおりまして、下宿先にお邪魔してしっかり見せてもらいました。お高いだけあって本体もプリンタもいかついヤツでした。FX-502Pはプリンタも付けて活用いたしいましたよ。感熱紙だったねぇ。まぁ、自作のゲームで講義中に遊んでいたりもしましたが。さらにシャープのポケコンPC-1262も買いました。確かアレには4色ボールペンプロッタ的プリンタが有ったんですよねぇ。カセットテープにプログラムを入出力できるのは当時のPCと共通の外部記憶でしたね。
その後購入したFM-8もモニタと5インチFPD2ドライブ、EPSONのMP-80type2を付けて講座での実験のデータ処理に利用しました。卒論の発表資料をPC印刷したのは学科内でも初だったようです。実験のデータは化学反応の反応速度でして、対数グラフで直線状に並ぶため手作業だと処理が大変なんですよ。まさにPCで処理すべき内容だったんです。個人のPCを大学に持ち込んで活用しておりました。

なんで昔話を長々書いているかと言えば暇だから。早くHDD直せば良いのですけどね。FATなら完璧なんですが、NTFSは良く知らないんですよ。そう、ソフトがFPDで供給されていた頃、ゲームや一部の業務用ソフトにはプロテクトが掛けられておりました。オーバードライブや特定の装置でしか書き込めないデータを作ったりして、いたちごっこで発達したプロテクト技術ですがさすがにもう滅びましたねぇ。もちろん、当時はそんな技術に興味を持っていたのでFATシステムはもういじり倒したんです。OS/2が出た当時はHPFSも多少チェックしたんですけどね。NTFSってHPFSと同じじゃないんだからMSめ。そういえば、最後に解析したプロテクトはAdobeのフォントですよ。今じゃOTFで供給してますが、当時はWindowsにATM(銀行にあるやつじゃないよ)ってドライバ載せてべクトルフォントを供給してました。それが、2回しかインストールできないようになっていたのです。ガチガチのプロテクトで、コピーツールも歯が立たなかったよなぁ。そうだ、会社でテスト的に購入したAdobeのフォントは、ATMだけインストールしてフォント自体をインストールしてないや。もったいないなぁ。

昔話Part2

その後も、関数電卓や時計機能付き電卓をいくつか買いましたねぇ。やがてあのゲーム電卓が発売されるのですが。MG-880は良く遊びました。そのちょっと前、名古屋の電気店で見た物は8080を乗せたワンボードコンピュータでした。当然PCなんて呼ばれていませんよ、当時の呼び名は「マイコン」です。大学に入ってからは、大学祭にマイコンクラブの催しを見に行ってワンボードマイコンなどを眺めていた物です。ええ、そっちには入ってないんです。私は中・高・大と柔道部なので。そして発売されるPC-8001ついに国産初のPCが・・・ちょっと待て、日立のベーシックマスターが1年早い。そう言えば、確かに見たよ国産初の機体。そろそろ欲しくなった頃、でも我慢、まだ使えない。我慢できなくなったのはPC-8801が発表されたから。貯金をおろして日本橋(勿論大阪に決まってる)に買いに行きましたとさ。ところがどっこいショップで聞いて気が付いた、発売前だったよ。もう我慢できないから、発売されたばかりの富士通のFM-8を買ったとさ。いやね、まさかCPUが違うなんて知らなかったのさ。互換性無いからゲーム等が動かないのは知っていたけどさ。まぁZ80ボード載せたからCP/Mは使えたけどね。その後もFM-7を買い、FM-11AD2を買い、OS-9(Mac関係ないからね)道を突き進んだとさ。マイナー路線だよねぇ。メジャー復帰するのはPC-9801F2からなのでした。
学生時代、乱数的名称のマイコンクラブの人たちとも知り合いになったのだけど、彼らはモニタなど繋げないワンボードマイコンからやっているからハンドアセンブルができました。PC-8001のモニタモードってラインアセンブラ付いてなかったよね。だから16進入力でプログラム組んじゃうんですよ。まぁ私でもZ80のマシン語位は知っていたので、ある程度16進でも読めたんですけどねぇ。先人恐るべし。がんばってアセンブラは覚えました、z80,6809,68000,8086,80286,80386とね。最後は386のプロテクトモードで大変でした。まぁ98の仮想EMS(こっちは保守)とか、Windows95のデバドラとか作りましたからね。
コンピュータ言語も大抵こなしたものです。基本はC/C++でしたが、大学の授業はFORTRANだし、一時期経理の手伝いをさせられてCOBOLも使いました。趣味の方では最初はBASICでしたが、PascalとかLispとか、手に入る言語は一通り覚えましたねぇ。

昔話をしてみよう

おっさんの昔話など読み飛ばし推奨。(何か眠れなくって)

最初にコンピュータを見たのは小学校の社会見学だったかな。市内にある信用金庫のコンピュータルームを見学した。大型だったねぇ。帰りに紙テープをお土産にもらいました。当然何が記録されているかなんて当時は判りませんでした。今なら読めますよ。EBSDICの8bitデータですからね。あれ真空管式じゃなかったはずだし、流石にリレー式計算機でもないはずだから、トランジスタでできてたんですよねぇ。まだICなんて無かったと思う。当時は電子ブロックなんて買ってもらって電子回路に興味を持ち始めた頃でした。それからは初歩のラジオとかラジオの製作なんか読みながら、休みにCQやトラ技に載っていた名古屋のパーツ店を巡って、トランジスタ・ダイオード・抵抗・コンデンサ等買いあさり、基盤のエッチングとかやってハンダ付けするのが楽しみでした。やがてICなんて物が流通するようになり、SN7400(NANDだよ)等を買いました。もちろん加算回路とか作ったんですけどね。真空管式ラジオから電子回路まで、それでそちらの趣味は終了しました。
その後興味を引いたのは電卓ですね。シャープとカシオが戦場を繰り広げておりました。カシオミニのCMなんて未だに脳裏に焼きついていますよ。そして購入したのは満を持して発売されたfx-101でした。いやぁ結果出るまでに何か表示してくれるのですよ、この電卓。処理が遅いのを誤魔化しているだけかもしれませんが、がんばってる様に見える不思議なヤツです。恐ろしいことに未だに動作します。買ってから40年位経ってるのにねぇ。その頃、通っていた高校の数学教師に見せてもらったのがプログラマブル卓上計算機でした。レジスタのでかいヤツ、そんな印象の機械でしたが三角関数を1度刻みに計算して結果を印刷したものを頂きました。流石に機種とか機能とか記憶にないのですが、何か凄い機械に見えました。当時、まだワンボードコンピュータすら出てませんからね。i8080が発表された頃なので、8008でも使っていたのかも。あの機械何だったのかとっても気になります、今更ですが。
(続く)

何か変?

メインマシンのHDD飛ばして修復不能。手作業普及しようとしたけど
結構大変そうなので、マシンを追加しました。ちょうどお手ごろな
中古マシン見つけましたので。それでいろいろとセットアップして
いたのですが違和感が・・・。フリーソフトなどのダウンロードが
妙に早いのです。と言うか異常に感じるほどすぐ終わる。それで
良くある通信速度測定サイトを軒並み巡ってチェックしたところ
やはり速くなってる。旧マシンも何かと調整して最高200MBPSくらい
出ていたのですが、所詮この程度だろうと思っていました。
まぁ従来の光回線なら100MBPSなんて超えられませんからね。
そこで新マシンでチェックしたところ、最高で500MBPSを超えてる
のですよ。もちろんサーバーやソフトで変化は大きいですけれど。
まだ調整前なんですけどねぇ。マシンの性能なのか、OSの問題か
多分両方なのでしょうが、こうも画期的に変化するとは・・・。

HDD音信不通

メインで使っているHDDを分割してWindows10の評価版を入れていたのですが、
賞味期限切れでWindows10が起動しなくなったのでパーティションごと削除しました。
それでもOSのBootセレクタが表示されるので、OSのDVDから修復セットアップし
MBRを上書きしたんです。そうしたら再起動できなくなり、2台目のHDDから起動し
確認したところunformat状態になってました。領域開放されるとは・・・。
データはバックアップしてあるのですが、環境やらブラウザのブックマークや
クッキーが残ってないのでちょっとヤバいです。幾つか修復ツールを使ってみましたが
今のところ『死亡確定』状態です。直接手作業修復するしかないかなぁ。